久しぶりに、ブログの方を更新です。
近況なんかは、Facebookでも事足りている感じもしていて、なかなか使い分け方が自分の中ではっきりしておりません。長文となったので、こちらに挙げてみました。
自分自身の中に漠然とあったことを言葉にしてみました。
なぜ、釜援隊か?
「森と風のがっこうを卒業して、なぜ釜援隊に所属して、三陸ひとつなぎ自然学校で活動をしているのか?」
「これまでの経験を活かして、独立する道もあったのでは?」という問いに対する答えです。
その理由として、以下のことが挙げられます。
釜援隊のメンバーは現在7名(8月以降にさらに7名が増員)。そのうち5名は、市内の地域づくり団体等に所属、2名は全体のマネジメントを担っており、個人で地域に入るより、釜援隊として横の連携を持ちながら地域づくりに携わる方が、釜石地域にも他地域にもより大きなインパクトが与えられます。
それぞれの課題を一緒に解決したり、お互いのリソースを持ち寄って、新しいプロジェクトを立ち上げたり、1+1=2では無くて、1×1が3にも4にもできる可能性を秘めています。
さらに、釜援隊は、市役所内に事務所を置く「釜援隊協議会」が活動母体ですが、協議会とは雇用契約ではなく業務委託という形で、釜援隊のメンバーは、それぞれ上下関係は無く、それぞれが独立しながら、緩やかな連携を保っています。なので組織に関わりつつも、かなり自由な動きを担保されており、さらに個人では限界のある部分もお互い補い会いながら、活動を展開できます。
被災地の復興を考えたときに、今年度を含めた数年が10年後20年後の方向性を形づくる重要な時期と感じています。事業の展開の速さ、他の被災地へのモデル展開の可能性を考えると、たまたま縁があって話をいただいた釜援隊を利用しない手は無いという感じです。ただ、気をつけなくてはいけないのは、釜援隊として、成果目標の設定もあるのですが、あくまでも被災地の環境地域づくりという大きなビジョンがあって、それを見失うこと無く、釜援隊で求められる活動とすりあわせていく必要があります。
人生で成し遂げたいこと
「持続可能な環境地域づくりのモデル形成」とキャッチコピー的に挙げることはすぐにできるのですが、その中身を問われたときに、具体的なイメージを言葉にしてきませんでした。「自分自身の人生のロマンは?/これは絶対に成し遂げたいものは?」と問われ、ぼんやりとしたイメージはあったのですが、ちゃんと言葉にしていなかったことに気づきました。
具体的なイメージまでいかないですし、この先変化していくと思いますが、今のところのこれからの地域像を箇条書きにしておきたいと思います。
1.良い自然環境と自然と共存した暮らしがある
2.地域の暮らしを楽しんでいる仲間がいる
3.助け合いながら暮らしていける良い習慣がある
4.地域の環境と調和したよい仕事がある
5.地域の暮らしを楽しむための学び合いの場がある
6.将来地域を担う人材が育っている
7.自分たちの手でよりよい地域へと成長できるし力がある
8.様々な変化に対応できるしなやかさを備えている
9,一人一人の個性を活かすことのできる場がある
10.地域内外の人々が対流し、良い地域づくりのための知恵や技を交換できる交流がある
今被災地は、震災を機に地方がどこでも抱えるような少子高齢化や産業の衰退などの課題が一気に進み、課題先進地であると言えます。
これからの地域像を箇条書きで挙げてみましたが、それぞれを突き詰めていくと限りがありませんが、しかし、この被災地で持続可能な環境地域づくりを実践することで課題解決先進地域としてこれから日本各地のモデルとなり得ると考えておりますし、上記のような地域が増えてくれば、地方の暮らしの楽しさが広がっていくと思っております。
様々な課題が山積している被災地で、一足飛びに持続可能な環境地域が形成できないですし、個人でできることは限りがあります。地域内外の人々と緩やかなネットワークを築きながら、一つ一つ実践を積み重ねていきたいです。
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